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山本五十六と真珠湾攻撃のからくり 知床のヒグマ [戦争]

 1923年関東大震災の年、アメリカ陸軍の航空隊副長官のウイリアム・ビリー・ミッチェルは日米開戦時のターゲットは真珠湾であると報告し,1924年には「翼による国防」を発表した。DSC_9722.jpg

 全ての艦船は航空機により爆沈させることができるということを実験で証明したのである。DSC_8232.jpg

  1925年イギリスの海軍研究家、バイウォーターが「大いなる太平洋戦争」を出版。
当時アメリカ海軍次官を終えたばかりのフランクリン・ルーズベルトと論戦になった。DSC_5052.jpg
 ルーズベルトは太平洋が日米開戦を不可能にしていると考えていた。それに対してバイウオーターは日本がフイリッピンやグアムのアメリカ軍に奇襲をかけ、太平洋の島々を基地化すると想定。アメリカ軍は、マーシャル諸島からカロリン諸島を次々と進軍し勝利するという「未来戦争」を考えていた。DSC_5059.jpg

 山本五十六の真珠湾攻撃はミッチェルとバイウォーターの考えに基づいていたのである。DSC_5080.jpg

 「大いなる太平洋戦争」は海軍大学校のテキストにも使用された。この小説では日本は初戦には勝利するが、次第に物資に勝るアメリカが勝利する。DSC_5099.jpg

 駐米大使館付海軍武官であった山本五十六はこの時以来、軍人として真珠湾攻撃を行うことを夢見ていた。1928年山本五十六は水雷学校でハワイ攻撃について講話した。BL6R0570.jpg

 五十六は世界で最初に航空機の威力を実験ではなく実戦で証明したかったのであろう。BL6R0636.jpg

しかし、ミッチェルの考えと、山本の真珠湾攻撃とは決定的な違いがあった。山本はアメリカを恐れ、真珠湾を単に奇襲攻撃するのみ。しかし、ミッチェルはハワイ周辺の島のひとつ、ニイハウ島を占領し、そこから航空機でオアフ島の真珠湾を空襲する方法であった。BL6R0907.jpg
山本はハワイ占領は不可能と考えていた。

 山本が真珠湾攻撃の過ちを認め、ハワイ占領を考えたのは、ミッドウェー作戦時であった。DSC_7706.jpg
 山本五十六はバイウォーターの「大いなる太平洋戦争」を思い出していたであろう。DSC_7709.jpg

 太平洋戦争直前には情勢は大きく変わっていた。当時、日米開戦に否定的であった海軍次官のルーズベルトは、大統領となってからは日米開戦を危惧し、ミッチェルの「視察報告書」とバイウォーターの「大いなる太平洋戦争」をもとに戦略を構築した。DSC_7716.jpg

 ルーズベルトは、日本がアメリカ軍の手薄な島を基地化することを最も恐れた。真珠湾のあるオアフ島が日本に占領される事を恐れたのである。DSC_7741.jpg
 山本五十六はハワイ諸島を占領する考えはなかった。航空機、艦船の破壊のみを考えていた。ハワイの軍事施設、燃料基地を破壊する考えはなかった。DSC_7768.jpg
日本海軍には兵站を無視し、艦隊決戦を主と考える伝統があった。山本五十六は、真珠湾を奇襲攻撃することにより、戦術的優位に立つ事を考えていたのであろう。DSC_8197.jpg

   「海軍を退いて郷里の長岡に帰るか、モナコでばくち打ちにでもなるか。」(五十六)DSC_8201.jpg

「日本は太平洋で戦争を引き起こす。はじめに晴れた日曜日の朝にハワイを叩くことでアメリカを攻撃する」と語った。(1925年ーミッチェル) DSC_8207.jpg ー 山本五十六と未来戦記からー

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