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<果てなき白骨街道>6 飢え、心もむしばむ  (中日新聞より) [戦争]

 6月30日の中日新聞より抜粋しました。  DSC_4737.jpg                                                 


 撤退の山河をさまよい、兵たちの軍服はとうに擦り切れている。

 麻の米袋を頭からかぶり、穴から顔と手を出している。ふんどし一丁、裸の者もいる。つえをつきながらも、飯ごうと水筒だけは手放さない。DSC_4706.jpg

 第三一師団(烈兵団)衛生隊の上等兵望月耕一(89)=静岡市清水区=が歩いた山道では、物ごいと化した兵たちがへたり込んでいた。「みんな、ばあさんみたいな顔をしておった」。持っていたのは梅干しの種だけ。一人の兵に渡すと、両手を合わせて何度も望月を拝んだ。

 一九四四(昭和十九)年夏、インパール方面から撤退する日本兵たちは、飢えていた。往路だけの米は尽き、英軍の猛爆で補給も届かない。非常食代わりに連れて行った牛馬も死んだ。

 地元の集落へ入る。戦火を逃れて避難した住民が床下に隠していった籾(もみ)を血まなこで探す。鉄かぶとに放り込み、銃の柄ですりつぶして生で食べた。「ジャングル野菜」と呼んだ野草は、食べ続けると青い尿が出た。運良く寺院にたどり着いた兵は、黄色いけさ姿の僧侶におかゆを恵んでもらった。

 「ゾウをぶっ殺せ」。ある部隊は、連れていた子象を撃ち殺し、硬い皮膚を軍刀でさばいて肉をゆでた。「臭みもなく、軟らかかった」。ワニの卵も食べた。飯ごうのふたで焼くとすぐに蒸発してしまうことが分かり、生のままむさぼった。

 「少し先の町に、食糧庫がある」。兵たちは、伝え聞く話を信じて歩き続けた。

 望月と同部隊で当時三十歳だった兵長服部州男(くにお)(名古屋市千種区)は、たどり着いた補給所で絶望した。「交付された食糧は、わずかに唇を潤すほどでしかなかった」と生前残した手記で嘆く。

 その夜、雑木林で爆破音が響いた。駆け寄ると、分隊長が自爆していた。「気力の限界を知った彼は静かに一人、手榴(りゅう)弾を胸に抱いたのだった」と書く。配給を渋る倉庫管理の将校に、銃を突きつけて強引に食料を奪う兵もいた。

 「この下、水あり」。祭兵団歩兵第六七連隊の兵長下村公(ひろし)(92)=三重県鳥羽市=は、先を行く兵が書き残した札を見つけた。

 深い谷を下ると、小川に何人もの兵の死体が転がっていた。水を口にしたまま力尽きたのだろう。どれも水面に顔を突っ込んだまま。うじがわき、悪臭を放っている。

 「でも、谷まで行ったからには水をくみたいから」。血に染まる水をのどを鳴らして飲み、水筒をいっぱいにする。だが、再び山をはい上がるとのどが渇き、水筒の水を飲みきってしまう。IMG_3574.jpg

 下村は、行き倒れの兵が、傷口から血を流しているのを見た。しばらくすると別の兵が近寄り、その血をすすってのどを潤した。

 軍馬の治療をする第一三兵站(へいたん)病馬廠(しょう)の伍長笹原新一(95)=石川県加賀市=は、ジャングルで二人組の日本兵に話しかけられた。

 「肉はいらんか」

 ウシやブタがいるような場所ではない。人里もない。「いらん」。首を横に振った。

 男たちが立ち去ると、笹原たちはささやき合った。「あれ、人の肉やぞ」

 日本兵の死体から太もも部分の肉が切り取られている。撤退の道のあちこちで、そんな不自然な死体を、何人もの兵が目撃した。

 (敬称略)

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