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絶対悪 絶対正義 キリスト教の二元論 [社会、政治]

 
  前の頁で、女子学生は悪に憧れていると書いてしまいましたが、非常に2元論的に成っていると思いますので、改めて自分なりの思いを述べてみたいと思います。
  正義とか悪とか言われるものは、利己的な要素が多分に有ると思います。キリスト教などでは、神を肯定するもの、神に従うものは正義。教義を否定し背く者は悪となります。では何故、神が正義かというと、良く分かりません。実際、教義には、過去にも現在においても多くの誤りが含まれています。多くの過ちも犯しています。これらは少なくとも正義と言えるものではありません。
  国家ではどうでしょうか?。権力に従うものは尊ばれ、背く者は疎まれます。社会生活にしても同じです。
  人間、個人においてもこの原理は、同じようにはたらきます。
  女子高生の場合は、彼女の存在を否定するもの、命を否定するもの、尊厳を侮辱する者達から、護ってくれるもの、彼らを罰してくれるもの、正義を実行してくれるものを、待ち望んでいたのでしょう。しかし期待は打ち砕かれ、闇が現実生活を覆います。そして、女子高生は、周りの人間全てが、彼女を、否定、侮辱している、人間の存在を、容認していると思い込むようになっていったのだと思います。
  そして、あの毒殺魔の伝記の中に自身を発見したのだと思います。自身を変えなければ命までも奪われる。自身を変化させ、事件を実行することにより、自身の正義を実現しようとしたのではないでしょうか。兄弟であろうと、親であろうと、もはや、彼らと変わらない存在でしかなくなったのだと思います。


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