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ノモハン戦争の轍を踏んだ真珠湾奇襲。 [戦争]

アメリカは八木アンテナを改良、攻撃兵器や防御兵器に応用。15m以内の攻撃機を感知して自爆する砲弾を開発製造、砲弾には八木アンテナを改造したセンサーを使用,原爆にも搭載していた。
ハイテク兵器を開発したアメリカに思想的に劣る帝国日本。 空飛ぶ棺桶ゼロ戦、海に浮かぶホテル戦艦大和DSC_4419.jpg

ノモハン戦争の轍を踏んだ日米開戦真珠湾奇襲。

{・・ 第二次大戦中、大日本帝国陸軍の主力である歩兵の訓練の最重点は、射撃・銃剣術・行軍。   射撃は三八式単発歩兵銃。
日露戦争どころか、19世紀以前の軍隊、戦国時代の軍隊と基本的には変わらない。
日露戦争後、さらに第一次大戦後、大日本帝国陸軍の最高指導者と高級参謀が
取り組まなければならなかったことは、日露戦争時の白兵突撃によるおびただし
戦死者を出さないように、軍備・兵器を近代化することであったはずである。
大日本帝国陸軍の最高指導者・高級参謀の無能・無策・無責任を嘆かずにはいられない。

ノモンハン戦争

1939年6月27日、辻政信は大本営陸軍参謀本部の計画中止勧告を無視して、
重爆撃機24機、軽爆撃機6機、戦闘機77機からなる空爆隊に、
国境から130キロほども奥深く入ったモンゴルのタムサグプラグ(タムサグ・ポラグ、
タムスク)空軍基地及びマダット、サンベース空軍基地を攻撃させた。
99機を撃墜、25機を爆破し,基地の半分を破壊した。大戦果であった。
ソ連はこの爆撃によって、大日本帝国陸軍の本格出動があると判断。
この爆撃を契機に局地紛争は戦争へと拡大していった。DSC_5788.jpg

8月20日、ジューコフが指揮したソ連軍は、全ての戦車・装甲車のガソリン・エンジンをディーゼル・エンジンに取り替え、ハルハ河に12本の架橋を行い、
515機の航空機による爆撃、重砲による約3時間の砲撃、
戦車498両、装甲車385両、火砲・迫撃砲634門、機関銃2,255丁、
兵員5万7,000名をもって、ハルハ河東岸のモンゴル領内の大日本帝国陸軍殲滅作戦を開始した。

この作戦のために、ジューコフが準備させた弾薬等の物資は、砲兵弾薬
1万8000トン(野砲弾薬換算約280万発)、空軍弾薬6500トン、
各種燃料1万5000トン、各種糧食4000トン、燃料7500トン、その他の資材
1000トンで、合計5万2000トンであった。
(牛島康允(うしじまやすちか)著『ノモンハン全戦史』自然と科学社発行・
星雲社1988年4月発売 第297頁~第299頁)

これらの大量の戦闘物資の輸送は大日本帝国陸軍に気づかれぬように、
細心の注意を払って行われた。
辻政信ら関東軍高級参謀や、関東軍司令官、第六軍司令官、
第23師団長などの関東軍の最高指導者は、ソ連軍のこの大がかりな戦闘準備を夢想だにしていなかった。
銃剣による白兵突撃と火炎瓶による肉弾攻撃。

日本軍は兵員こそ2万数千人であったが、それまでの戦闘で戦車の大半を失い、
残った戦車も皆引き揚げており、大日本帝国陸軍戦車は皆無であった。火砲はわずか100門。

火炎瓶を手に、肉弾攻撃で反撃したが、ディーゼル・エンジンの
戦車・装甲車には全く効果なく、圧倒的に優勢なソ連軍の火力攻撃に
大日本帝国陸軍は壊滅し、敗走し、モンゴルが主張する国境線の外へ完全に追い払われた。
辻政信が主導し、おびただしい犠牲を出したノモンハン戦争は、大敗北に終わった。
しかし卑劣にも、辻政信と関東軍の最高指導者は、敗北した責任を、
全て前線の指揮官たちになすりつけた。

生き残った前線指揮官に自殺を強要し、
停戦後、捕虜交換によって戻ってきた将校全員にも自殺を強要した。
実質的な死刑である。

関東軍の最高指導者は、勇敢に戦った前線指揮官と、激しい戦闘中に
負傷し昏睡状況で捕虜になった将校を、処刑したのである。

関東軍の最高指導者たちは、敗北の事実を隠ぺいし、【擅権(せんけん)の罪)】を免れた。

1931年の満州事変の後、大日本帝国は、満州国を建国し、国際連盟を脱退し、国際的に孤立していた。

大日本帝国陸軍によるノモンハン戦争の大敗北の事実隠蔽は、その後の大日本帝国政府の
判断を誤らせ、太平洋戦争の惨禍に繋がった。

わずか3か月の短い期間に、ソ連の戦車と航空機は機動性能を向上させた。
開戦当初、大日本帝国陸軍の火炎瓶攻撃で簡単に炎上した戦車はすべてディーゼル・
エンジンに変えられた。旋回飛行能力が劣っていた航空機も機動性能を向上させていた。

シベリア鉄道から数百キロ離れたノモンハンに5万2000トンもの戦闘物資を
送り込むということは、辻政信や、植田謙吉関東軍司令官らには想像もできないことであった。
このソ連の驚くべき輸送能力は、1945年8月の日ソ戦争(ソ連の対日参戦)時に
おいてもいかんなく発揮された。

これに反して、大日本帝国陸軍は、占領地の住民の食糧を強奪して自給自足するということを本気で考えていた。
南方では現地住民に大量の餓死者が出た。数百万とも云われる。

ガダルカナル、北ボルネオ、インパールの惨劇に具体的に見られるように
食糧を補給するという最低限の常識すら欠如していた。DSC_5785.jpg

官公庁、自衛隊、地方自治体等の公的組織において、大日本帝国陸軍のような、
事実隠ぺいを犯罪と思わず、不正不義が公然とまかり通る組織風土の存在を
許してはならない。

日本の中央、地方の官公庁のは事実隠ぺいは根深い。都合が悪くなれば、公文書さえ
廃棄してしまう。毎日新聞(朝刊)10年2月26日第1面は『省庁「密約」今も』との
大きな見出しで中央官庁間の密約の横行を報じたが、その中で、
「公開されると困る書類は廃棄した」との某省幹部の証言を報じている。・・}
(ノモハン戦争から学ぶべきことより)
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