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(昭和の妖怪)岸信介と日本最悪の安倍晋三ファミリー (知床の流氷) [社会、政治]

   満洲国人脈と731部隊人脈、里見甫のアヘン金脈が絡みつく安倍晋三ファミリー。DSC_0926.jpg
 原点には岸信介らA級戦犯に対するGHQの公職追放解除、満洲国の暗黒を戦後の日本に根付かせたアメリカGHQの占領政策にある。731部隊関係者と岸信介らA級戦犯者は731部隊関係資料と満洲アヘン金脈をGHQに提供する事で追訴から逃れた。
 日本最悪の安倍晋三ファミリーは(昭和の妖怪)岸信介から受け継がれたアヘン金脈にも繋がっていた。DSC_0920.jpg
 里見甫と日本通商。里見甫と電通。電通と満洲人脈。里見甫と岸信介。謎解きのキーワドが残されている。
 731部隊と医学会、経済界、政界との腐れ縁は日本の闇社会に根を下ろし権力と結びつく。
 日本の戦後の首相経験者の系譜は戦前、戦中の天皇制国家の中枢に籍を置いていた。 吉田茂、岸信介、佐藤栄作、池田隼人、小泉純一郎。鈴木善行等々。DSC_2773.jpg
 自民党の成り立ちとM資金の絡みも岸信介、吉田茂、佐藤栄作らアヘン人脈との関係から生まれた。
 笹川良一に招待された森喜朗、安倍晋三、小泉純一郎、麻生太郎が席上で高笑いする写真が週刊誌で報道されたのも記憶に鮮明に残っている。DSC_2906.jpg
安保条約は、1951年9月8日、吉田茂がアメリカと単独で結んだ「日本国とアメリカ合衆国との安全保障条約」(旧日米安全保障条約)に端を発しており、この条約によって日本を占領していたアメリカ軍は、「在日米軍」となり、継続して日本に駐留する事が可能となった。DSC_3294.jpg
さらに岸信介が進めた新安保条約(60年安保)には日本人の「戦争」に対する拒否感や、東條内閣の閣僚であった岸本人への反感があり、多くの国民が反対した。DSC_8184.jpg
これに対して岸は、「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には『声なき声』(サイレント・マジョリティの意)が聞こえる」と語った。DSC_3628 a.jpg
それを援護したのが、電通の吉田秀雄、朝日新聞社の笠信太郎らが主導した、在京新聞社7社である。
 在京新聞社7社は、1960年6月17日に共同で「議会政治を守れ」としたスローガンを掲げた社告を掲載した。DSC_8188.jpg
 警察側の暴力を不問にし、議論の本質を「暴力反対」にすり替え、デモ隊だけを切り捨てたいわゆる「新聞が死んだ日」である。DSC_3997.jpg
「60年安保闘争」は空前の盛り上がりを見せ、岸は退陣し池田勇人内閣が成立する。
 岸は首相退陣後も政界に強い影響力を保持し、日韓国交回復にも強く関与する。DSC_5614.jpg
 韓国大統領朴正煕は満州国軍将校として満州国と関わりを持ったことがあり、岸信介・椎名悦三郎・瀬島龍三・笹川良一・児玉誉士夫ら旧満州人脈との関係を強めた。
岸は日韓国交回復後、日韓協力委員会を組織。日韓の反共政策を推進する過程で「統一協会」とも1973年(昭和48年)より親交を持ち「国際勝共連合」結成に協力。DSC_6710.jpg
 1984年(昭和59年)に「世界言論人会議」開催の議長を務めた際、米国で脱税容疑により投獄されていた教祖文鮮明の釈放を求める意見書をレーガン大統領(当時)に連名で送るなど、同教団が政界へ影響力を広げるにあたっての重要な役割を果たした。
死ぬまで自民党内でその影響力は衰えを見せず、事実上の安倍派(福田派)の元老であり、フィクサー、黒幕、昭和の妖怪とも呼ばれた。DSC_7543.jpg
 正力松太郎などとともにアメリカCIAから資金提供を受けており、CIAのスパイだったと言われ、まさに妖怪界の大御所であり日本の暗黒界の帝王的存在№1といえる。  (・・・・・・より引用)  DSC_9103.jpg  
 日本最悪の安倍晋三ファミリーと電通との腐れ縁が続いている。
1981年1月から5月まで、『週刊朝日』は18回にわたり、田原総一朗によるルポルタージュ「電通」を連載した。
主だった満州帰りの人々は、以下の通り。DSCN1299.jpg
市川 敏:満州国国務院総務庁弘報処長から電通東京本社総務局長、専務取締役
松本豊三:神戸又新日報(こうべゆうしんにっぽう)編集局長、満鉄総裁室弘報課長、満州日日新聞社長、満州日報理事長、満州新聞協会理事長から電通秘書役、大阪支社ラジオテレビ局長、同企画調査局長、副社長
米野豊実:満州日日新聞編集総局長、取締役から電通東京本社企画調査局部長待遇
森崎 實:時事新報社会部、政治部、満州新聞新聞局長、満州日報編集局長から電通東京本社企画調査局出版部長、企画調査局長、開発局長、電通PRセンター会長、ビデオリサーチ社長
高橋 渡:満州日報業務局長から電通東京本社営業局中央部長、営業局長、大阪支社営業局長、副社長
高橋威夫:満鉄文書課長から電通東京本社総務局長、常務取締役IMG_1941.jpg
古賀 叶:満鉄錦州鉄道局長から電通東京本社ラジオテレビ局長、経理局長、常務取締役、副社長、JIMA(電通グループの外資系広告主扱い広告会社)社長
芝田研三:満鉄、満州日日新聞取締役から電通大阪支社ラジオテレビ局長、関西テレビ常務取締役
金澤覚太郎:満州放送総局副局長から電通東京本社東京放送創立委員、ラジオ東京編成局長、日本教育テレビ編成局次長、日本民間放送連盟放送研究所副所長
古瀬甲子郎:満州日報営業局次長から電通大阪支社営業局次長、日電広告(電通グループの案内広告専門会社)社長IMG_1945a.jpg
小谷重一:満鉄旅客課長から電通東京本社営業局外国部長、PR部長、営業局次長、国際広告局長、米州総局長、JIMA専務取締役
市川雄次:満州製鉄から電通東京本社PR局長
松方三郎:満鉄、同盟通信、満州国通信社社長、共同通信専務理事、電通社外取締役
塚本義隆:同盟通信経済局長、総務局長、満州国通信社社長、電通社外取締役
電通銀座ビルを「第二満鉄ビル」と呼んでもあながち誇張ではないほど、錚々たる満州帰りの顔ぶれが揃っていた。IMG_1972.jpg
大陸帰りの人々としては、
森山 喬:朝日新聞東亜部次長、上海の大陸新報専務取締役から電通秘書役、東京本社経理局長、ラジオテレビ局長、常務取締役、副社長
峯間信太郎:天津米穀統制会理事長から電通東京本社連絡総務、電通映画社社長
 復員軍人の人々としてはIMG_0469.jpg
塚本 誠:陸軍大佐、東京憲兵隊特高課長から電通東京本社連絡総務、取締役
横山一三:陸軍大尉から電通東京本社総務局長、経理局長、常務取締役
大津大八郎:陸軍大尉から電通東京本社万国博室長、人事局長、専務取締役
岩田正孝:陸軍少佐から電通東京本社総務部長、総務局次長DSCN1668.jpg
 (特に抜きんでていた大物、松本豊三と、共に満州のマスコミ界をしょって立ち、その後電通に入社し、吉田から新設のビデオリサーチ社長就任を頼まれた森崎實、吉田の描いたPR、国際広告の夢の実現にまい進した小谷重一、彼らを見いだして、電通のかけがえのない人材たらしめた吉田秀雄の4人。)DSC_9526.jpg
民主主義≠多数決<民主主義     独裁・ファシズム=多数決<独裁・ファシズム    
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